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エイガ(2)〜映画の父・その2
おはようございます。ことぶきです。
今日は、映画の歴史の続きです。

「映画の父」と呼ばれるのは、リュミエール兄弟だけではありません。
「エジソンはぁ〜偉い人ぉ〜♪」でおなじみ、発明王トーマス・エジソンがいます。

1891年、アメリカにおいて彼はキネトスコープという装置を完成させます。
これは、のぞきからくり式の1人で覗き見る、箱型の装置でした。大勢で観るスクリーン式より、
1人用のほうがたくさん売れる!と大儲けを考えたエジソンでしたが、成功しませんでした。
結局、スクリーン式の装置のほうに方向転換し、有料興行もしました。

リュミエールとは違った映画のスタートでしたが、映画を発明したのは、エジソンのほうが先ですし、
世界で初めて映画スタジオを作ったのも、エジソンです。(お金持ちですので。)
やはり、エジソンは「偉い人」なのでした。

けれども、偉い人エジソンは「私が映画を発明したんだ!」と言ったかどうかは知りませんが、
映画の特許に関してはうるさかったようです。

アメリカ的なエピソードをひとつ。
発明されたものは、たいてい特許を取得しますが、途端にその特許を無視して、好き勝手に商売をはじめる輩がでてきます。エジソンも、そのようなライバル映画会社らを特許権侵害で容赦なく告訴していきます。
また、かなり悪質な営業妨害を仕掛け、映画制作や商売ができないよう邪魔をしたそうです。
排斥されてしまったライバルたちは、逃げに逃げ、とうとう西側のロサンゼルスまでたどり着きます。何にもない森林地帯のこの地で、新たに映画産業を興すことにしました。

もう、おわかりですね。それがハリウッドなのです。

ではでは、次回は週末でーす。
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店長代理:みっちーがお届けしますっ!
最近睡眠中は歯を食い縛っているらしい・・・
そんな私は、みっちーです。まいどどうもー!


それにしても、今週は長かった・・・w 


月曜1/23は『2006年Yahoo!ショッピング新春カンファレンス

そもそもこのカンファレンスというのは・・・
Yahoo!ショッピングの2006年度の展開をご理解いただくと同時に、皆様にとっても更なる発展に繋がるよう、
積極的な意見交換の場にさせていただきたいと考えております。(Yahoo!ショッピング事業部長より)


ってことで、当店【いろどり空間】も出席してきましたよー ^^v



「Yahoo!はあーだこーだ、楽天はどうだ…他は・・・」

他ストアの店長さんとのコミュニケーション。
私みっちーはYahoo!担当なので、楽天の細かなシステムの話とかは分からなかったけど、
タメになった!タメになったよーきっと。
他にもYahoo!スタッフの話が聞けたり、アドバイス受けたりっ!
やっぱり、社外に出て刺激を受けないとダメだなーって実感。

いい話聞けたし気合十分!!今後はさらに頑張るー!


「売上もあげて、顧客満足度もアップさせてみせるー!!」ぅぉー!!w


今日は今週平日に更新できなかった部分や商品 新規10点登録!!
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眼の酷使
おはようございまーす。ことぶきです。

今日は土曜日ですが、私もみっちー先輩も出勤してます。店長とマツダイラ氏はお休みでーす。(弊社では日曜・祝日に加え、月2回お休みがとれます。)

普段は週6日勤務ですので、金曜・土曜になると、結構疲れがたまってきます。お休みの日くらいは、疲労をとるのに睡眠を多くとったりして、体調は何とか回復しますが、なんせ、ネットの職場なので、眼精疲労がひどいんです!

パソコンを使って仕事をしていると、[まばたきの回数が極端に減る→眼が乾く]、[集中して一点を見つめる→眼のまわりの筋肉が緊張する]など、眼に良いわけがありません。

それで、毎朝、自社製品「ベリールテイン・アイ」を摂取しています。
継続して摂取したほうがいいのですが、飲み忘れると、やはり眼の状態が良くないですねー。

一応、たまに他社製品のほうも飲んでいますが、結局どれが良いのかよくわかりませんでした。(笑)→注:個人差あり

サプリメントはあくまでも補助の役割しか果たしてくれませんので、頼りすぎるのは良くないのもわかっているのですが・・・。

やっぱり、眼は適度に休めるのが一番ですね。

来週は、連載の続きを書きまーす。
では、よい週末を!
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エイガ(1)〜映画の父
おはようございます。ことぶきです。
今日から映画のお話を始めます。よろしくお付き合いください。

一般的に「映画生誕の日」とされるのは、1895年12月28日のことをいいます。

もう11年ほど前になるでしょうか。映画生誕百周年を祝い、世界各地でさまざまな企画が
催されました。日本の劇場でも(テレビも含めて)、イベントや特集を組んだりしておりました。
それが1995年のことですから、映画元年は1895年ということになっているようです。

19世紀後半、フランスにオーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエールという兄弟がおりました。
彼らは、写真機材の製造・販売業を営んでおりましたが、1893年、シネマトグラフを発明します。
これは、スクリーンに投影できるカメラと映写機を兼ね備えた装置のことです。
そして、この装置にかける映像作品を制作したのです。

1895年、パリの「グランカフェ」で、世界で初めて、映画『工場の出口』が、有料上映されます。
つまり、今と同じ興行形態である"商業映画"の始まりですね。
スクリーンに射す光から現れる"動く写真"。はじめて観る映画に,パリの人々は驚きました。
映画上映は大成功だったのです。

『ラ・シオタ駅に到着する列車』という作品について、こんな有名なエピソードがあります。
蒸気機関車がプラットホームに滑り込んで到着するという、タイトルそのまま(笑)の映像を
どこかでご覧になった方もおられると思います。

これを観た観客は、列車が自分達に向かってくるのに驚き、座席から逃げ出した、といいます。
この逸話が、ホントかどうかはわかりません(誇張?)が、それだけびっくり仰天したということですね。

リュミエール以前にも、発明された装置はたくさんありました。
けれども、リュミエールの映画の見せ方、つまり、大勢で映画鑑賞することが、この兄弟の名を映画史に大きく刻むことになるわけです。
今では、ビデオやDVDなどで、自宅で映画鑑賞できる時代になりましたが、
"上映"という興行形態は、映画誕生から100年以上経った現代でも変わりません。

ちなみに、リュミエールとは、フランス語で"光"のこと。まさにリュミエールなしでは映画はなかったわけです。

では、また来週。
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男前!
おはようございます。大変ご無沙汰いたしました。マツダイラです。
最近、ネタに困っていまして更新が遅れていました。
ご愛読者には大変ご迷惑をおかけいたしますが、もう少しこんな状況が
続くかと思います。ご了承ください。


いつの時代にもイイ男というのはいたもので、そんな武将を集めてみました。

まずは、源平の時代からは源義仲が代表として挙げられます。
義仲は平家を追って都に上りましたが、乱暴狼藉を働いたので都人の評判は
大変悪く、田舎者扱いされていました。それでも「色白く、見目良き男」という
記述が残るほどでしたので本当に美男だったのでしょう。
これに対して、都で人気者だった源義経は「反っ歯の小男」という記述が残されています。

時代は進んで、戦国時代になるとやはり織田信長でしょうか。若い頃は「尾張一」と
いわれた美男だったようで、頭はよく、武芸も秀でて、いまでいうような不良っぽい少年
であり、さらに子供ながら城主であったのですから人もうらやむという状況だったのでは
ないでしょうか。織田家は信長の妹のお市も戦国一といわれるような美女であり、美系家族
でした。

武田信玄の跡取りである武田勝頼も色白の美男だったようです。武田氏が天目山の麓で
滅んでいくとき、北条家から嫁いで来た後妻とともに自刃する姿は美男であるからこそ
絵になるのでしょう。

上杉景勝の家老であった直江兼続も美男だったようで、もとは謙信の寵童ではなかったか
といわれています。兼続は景勝が上杉家を継承したあと家老として活躍し、上杉家が
秀吉によって会津120万石に移封されると、米沢で30万石という破格の待遇を得るほど
の人物でありました。兜の前立は武将には大変珍しく、「愛」という字をつけており、
美男であるから似合っていたのでしょう。


今回はここまで、次回はいつになるかわかりませんがお楽しみに。

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予告
こんにちは。ことぶきです。

今週から、週一ぐらいのペースで、映画についてお話ししたいと思います。

・・・と言っても、ここ何年も映画観てないので(汗)、最新作を話題にすることはありません。

ここ数年、邦画の興行は順調なようですね。とても良いことだと思います。
ハリウッド映画や韓国映画もいいのですが、もっともっと日本映画が盛り上がればと常々思っております。

ですが、ここでは熱く語るようなことはしません。いつまで続くかわかりませんが、お付き合いください。

次回より、映画誕生のお話から始めていきたいと思います。
おたのしみに。

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どもーこんにちわ。現在、元気70%OFFキャンペーン中のみっちーです。。。w 何故に元気70%OFFかというと今週は公私共にバタバタで..。ぅぅ >_<

 仕事自体はそれなりに順調で、メーカーさんにもいろいろお会いしたり、今後が楽しみというか、『頑張るぞー!!』っとごっつええ感じなのデス☆

 じゃードコが…?というと、じ、じつは、今週は旅行会社の人とお会いしてたんです。うーん?っというのは、3月上旬に社員旅行を企画してて、その打ち合わせ。

 はいそうです!私、みっちー、幹事みたいなもんですわー。

 んで、数社の旅行会社の人と打ち合わせに見積取ったりいろいろしてたら、全然仕事が捗らなくって。でも大丈夫☆今週で何とかカタチになりましたんでー。来週以降は仕事にも集中できると思うんでー頑張ろマース☆

 ちなみに場所は「白浜方面」です。近場でゴージャス☆楽しい日になりますように・・・☆


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言い訳
おはようございます。マツダイラです。


豊臣秀吉が権力を握った後のお話です。


秀吉が徳川家康に対して、ある寺院に一万石か二万石を寄進するように命じました。
家康はいつものケチが出たのか、数百石しか寄進しませんでした。
すると、その寺院から秀吉にクレームがいったのでしょう、秀吉は「どうして
命令を聞かないのか」、と家康を詰問しました。
家康はそれに答えるため、無骨で口下手な家臣を使者として送り込みました。
その家臣は、大坂城か伏見城に行き、秀吉の前で奉行たちから同じように詰問されて
困ったことでしょう。
ついには、「恐れながら」ともろ肌を脱ぎ、傷だらけの身体を見せて「これにて五千石」
といって平伏しました。
それを見た秀吉は、「見事な申し開き」といって不問にしたのでした。

これは、家康の家臣が命をかけて何度も戦場で働き、傷ついた結果やっと五千石の領地を
貰えるようになった。それなのにたいした努力もしない寺院に対して何万石も寄進する
というのには納得がいかない、という意思表示であったのを秀吉が理解して許した、という
ことです。


今回はここまで、また次回をお楽しみに。

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サバイバル
おはようございます。マツダイラです。


戦国時代は徳川家康が江戸幕府を開いて終結しましたが、それまでの為政者で
あった、織田信長や豊臣秀吉の家臣はどうなったのでしょうか。


織田信長の家臣で江戸幕府でも大名として存続できたのは、前田家・池田家・
丹羽家・浅野家・森家・山内家・細川家などであります。
このうち、細川家は尾張の出身ではなく、信長との縁もそれほど深くない間柄です。
どちらかというと秀吉に引き立てられたといったほうがいいのでしょうが、
きっかけは信長が与え、信長から領地をもらっていたという立場でありましたので
こちらにあげております。
これらの家は江戸幕府成立後も多くは大大名として存続し、明治維新を迎えました。
滅んだのは、柴田勝家・佐久間信盛・明智光秀・豊臣家などありましょう。
柴田・明智は秀吉によって、佐久間は信長自身で、豊臣家は家康によって消滅しました。


秀吉の家臣では、黒田家・蜂須賀家・藤堂家、小大名ですが、脇坂家・木下家・片桐家
などが江戸幕府後も存続しました。
このうち、蜂須賀家・黒田家はもともと秀吉の家臣ではなく、形の上では
信長の家臣でありました。山内家もこちらのはうがいいかもしれません。
藤堂家も以前は秀吉の弟の秀長の家臣でありましたので秀吉の子飼いという
立場ではありませんでした。
逆に滅んだのは、加藤清正家・福島家・加藤嘉明家・石田家・増田家などで、
両加藤・福島は江戸幕府成立後に改易となり、石田・増田は関ヶ原の合戦で消滅
しました。これらは全て秀吉の子飼いといえる大名でありましたが、関ヶ原で
活躍した加藤・福島などでも江戸幕府から見れば危険分子であったのでしょう。
とにかく秀吉の子飼いで残ったのはごくわずかでありました。


今回はここまで、また次回をお楽しみに。

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名前 その3
おはようございます。マツダイラです。


またまた、前回の続きで、名前の最終回です。


徳川家康は名前を何度も変えています。元服後、最初に名乗ったのが「元信」です。
元信の「元」は当時人質であった先の今川義元の「元」をもらったものです。
では「信」はといいますと、武田晴信(信玄)からもらったものだそうです。
その後「元康」と変えました。「康」は家康の祖父にあたる松平清康からもらいました。
松平清康は、松平家を戦国大名に押し上げた人物で、大変勇敢で、そのおじいさんに
あやかろうとしたそうです。
家康自身の名を与えた例としては、家臣の榊原康政の「康」とあとは、異父弟に与えた
くらいでしょうか。家康の場合は「松平」の姓を許すことが多かったようです。
これは、名前は一代限りですが、姓になりますとずっと先まで親戚のように思っている
という意志の表れとなるのでしょう。
江戸時代で松平の姓を許されたのは、家康の異父弟の家系である久松氏は完全に松平姓になり
三代将軍家光の異母弟である保科氏も松平氏となりました。これ以外では外様大名である
薩摩の島津氏や筑前の黒田氏、安芸の浅野氏、土佐の山内氏なども松平姓を許されており、
これらの諸大名の当主は代々、時の将軍から名前も一字もらうことが慣例化されていました。
徳川家の家臣では有名な柳沢吉保も松平姓を許されております。
江戸時代の将軍で最も多く名前を与えたのは十一代将軍の家斉(いえなり)でしょう。
なにせ、将軍の在位が最長でありましので江戸時代の末ごろには斉・・という名前が
氾濫しています。水戸斉昭・島津斉彬など幕末期の大名の名前をご覧になる機会があれば
ご納得いただけると思います。


このように、武将の名前もその当時のいろいろな関係があって決められているものです。

今回はここまで。また次回をお楽しみに。


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名前 その2
おはようございます。マツダイラです。


前回の続きです。


毛利元も時の将軍であった、十三代足利義の「輝」の字をもらっています。
一時、上杉謙信もこの「輝」の字をもらって「長尾虎」と名乗っていました。
毛利輝元の場合は献金して「輝」をもらいましたが、上杉謙信の場合は、三好・松永に
圧迫されていた義輝を一時的に救ったということでその褒美としてもらいました。
ちなみにこの義輝という将軍は剣豪でも有名で、塚原ト伝の高弟の一人でありました。
三好・松永の軍勢に攻められたとき、最後の働きで何人もの兵を斬り倒したそうです。
その後謙信は、上杉家を相続して前当主であった上杉憲から一字をもらって、
「上杉虎」と名前を変えました。

豊臣秀吉は根っからの家来が少なかったので「秀」の字を多く与えています。
例えば子供の頼、養子にした羽柴勝・豊臣次・小早川秋・結城康、
子供同然の宇喜多秀家、毛利家の秀元・秀就などで、徳川家康の跡継ぎの忠も
秀吉の「秀」の字をもらっています。では「忠」の字はといいますと、これは家康の
重臣で、武勇抜群の酒井次からもらったものです。
その豊臣秀吉はもとは木下藤吉郎であったのを、織田家の重臣である田と丹
合わせて「羽柴」姓としました。


今回はここまで。もう1回続きます。お楽しみに。

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できそうでできないこと
こんにちは〜。ことぶきです。

先日、ある深夜番組を見ていると、「できそうでできないこと」というコーナーをやっていました。その中で、”じゃんけんして後出しで負ける”のは、なかなかできないことのようです。

で、私もやってみました。
じゃんけん、(相手)グー!・・・(ことぶき)パー!

うっ・・・、勝っちゃいました・・・。ー_ー;

一度、やってみてください。結構、むずかしいですよ!

あと、ことぶきが「できそうでできないこと」だと思うのは、”鏡文字”を書くこと。
”鏡文字”とは、鏡に映したような反転した文字のことです。
左利きの私にとっては、なんでもないことなのですが、右利きの方には、難しいと思います。(最近まで、みんな書けるとものと思ってました)
一度、書いてみてくださーい。

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名前 その1
おはようございます。マツダイラです。


武将は、だれそれにあやかって、というような名前を付けられます。
今回はそんなお話です。


時代は遡って、足利尊氏から始めます。
もともと、尊氏は「足利高氏」と名乗っていました。鎌倉幕府執権の北条高時から
「高」をもらったものです。(「氏」は父の足利貞氏からでしょう。)
その後、鎌倉幕府を倒した功績で時の後醍醐天皇の名前である「尊治」の「尊」の
字をもらって「氏」と名乗るようになったのです。

将軍家から名前をもらうことはしばしばあります。
有名なところでは、武田信玄はもとは晴信でしたが、この「晴」の字は当時の
室町幕府十二代将軍である、足利義からもらったものです。
同じように、上杉謙信の兄である長尾景も、大内氏を倒した陶賢もそうですし、
大内氏・毛利氏とライバル関係にあった尼子久もそうです。

室町幕府の管領であった細川家では、代々将軍から一字もらって名乗っています。
応仁の乱の一方の旗頭であった細川元は七代将軍義から「勝」の字をもらって
います。その次の将軍義から「細川元」、前述の義から「細川元」という具合に
細川家の当主は時の将軍から名前をもらっていたのです。
そうしたら、細川幽斎はどうだったかといいますと、元の名を細川藤孝といいます。
藤孝自身は、十二代将軍の義晴の子ではないかと言われており、通説では将軍家の親戚で
ある三淵家の出身です。細川家が途絶えていたのでそれを継いで細川藤孝となりました。
当時の将軍は十三代義輝ですが、義輝は一時期「義」と名乗っておりその時の「藤」の字を
もらって「孝」と名乗りました。


今回はここまで。次回もこの続きです。お楽しみに。

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こんにちわ!みっちーです。
昨日は仕事を終えてから、店長と飲みに行きましたー♪
串カツとおでんのお店『しばまん』です。てへっw
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このお店、最近よくお世話になります。v^^v
なぜなら友達の両親が経営するお店なんです☆

メニューは、おでん、串カツとも何を食べても美味しいので、
いつもマスターにオススメを聞いて出してもらっています。
一品料理もあって、いやー、ほんと美味しいんです♪

気がつけば終電の時間となり、ひさびさ(w)のビールを楽しみました〜♪

阪急上新庄駅北口よりスグという立地もよく、
これからもお世話になります!よろしくお願いしますw


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努力?

おはようございます。マツダイラです。


前回の続きで今回は努力型の武将のお話です。


努力型の筆頭は徳川家康でしょうか。幼い頃から人質生活を送り、信長・秀吉のもとで
息をひそめながら虎視眈々と次を窺ってきたその忍耐力。
信長のような発想力はないし、秀吉のような華やかさもない、地味な感じがそう思わせて
いるのかもしれません。

武田信玄もこのタイプでしょう。努力型というより熟考するタイプかもしれません。
謙信に比べて戦術にしても、外交術にしても堅実なところがそのように感じられる
のだと思います。

毛利元就もこちらに分類されると思います。
安芸の小領主から、中国地方一帯を支配下に置いたのですから、その才能はすばらしいものが
あったのでしょうが、派手なところはなくイメージ的に努力型になるかと思います。

北条早雲もこちらではないでしょうか。歳をとってから出世したので、それまでの
経験を生かして、大名にまで成り上がったのですから。

明智光秀も典型的なこのタイプで、かつ秀才タイプかと思います。信長とは相容れない
ところがあったのは無理もない話です。


ほかにもたくさんいると思いますが、どうも努力型の武将は、天才型の武将に比べて
堅実な感じがします。そういうつもりはなかったのですが、派手か地味かに分類している
ような気がするのは私だけでしょうか。


今回はここまで。また次回をお楽しみに。

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天才?その3

おはようございます。マツダイラです。

またまた前回に引き続き、今回も天才型の武将の紹介です。


謙信とそのライバルである武田信玄とを比較したエピソードがあります。
数字の1から10までを足せばいくつになるかという質問を信玄と謙信
それぞれにしたそうです。
信玄は1から10をそのまま足して答えを出しました。それも異常な速さだったそうです。
これに対して謙信は、5×10+5という計算で瞬時に答えを出したそうです。
このエピソード自体は後年の作り話といわれていますが、信玄と謙信の違いを
端的に表しているように思います。
発想そのものが信玄と謙信との違いであり、謙信の天才性がうかがえる話ではないでしょうか。
また、信長が最も恐れたのはこの信玄と謙信であって、特に信玄を恐れたそうです。
信長にとって信玄は自分とタイプの違う相手だったので発想が理解できず怖かったのでは
ないでしょうか。一方、謙信は同じタイプなので信玄よりはまだましだったのでしょう。


豊臣秀吉も天才型でしょう。
若いときから苦労・努力を惜しみなくしてきたのでしょうが、凡人からみればやはり天才
と言えるのではないでしょうか。
とくに、「人蕩らし(ひとたらし)」と言われた交渉術は彼の人間性・天分が存分に発揮
された結果だと言えるのではないでしょうか。信長のような独創力はないものの、人にはない
ずば抜けた能力の持ち主であったことは間違いないと思います。


独創的と言えば、現存する城郭の基本を作り上げた松永久秀もこの部類でしょうか。
また、以前に登場した黒田如水もこの部類かと思います。

この他にも、子供の頃は引っ込み思案であった伊達政宗や、おなじく子供の頃は「姫和子」と
いわれたくらいおとなしかった長曾我部元親もこのタイプでしょう。

天才の定義というのも難しいかと思いますが、ここでは、教えられていないのにできる、
ということにしておきましょう。


今回はここまで、次回は努力型の武将を紹介いたします。お楽しみに。

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念願の・・・
念願(?)の初詣に行ってきた、みっちーです、こんにちわ!

連休はまたもや、京都に行ってきましたー。
京都は洒落てるし、ちょっと路地を行けば、昔の街並みもあるし
いいところデスネ☆何回行っても飽きないなー^^v

初詣の場所はと言うと、清水寺八坂神社に行きましたー。
おみくじもやってきましたよー。結果は・・・


【吉】


でした。簡単に言うと内容はこういうことでしょうか。

じっくり考えて答えを出せば、願いは叶う。


つまり・・・頑張れ!?って事???(−_−;)

そりゃそうだろ・・・うん。頑張るよ。
みっちーでした。



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天才?その2
おはようございます。マツダイラです。

前回に引き続き、今回も天才型の武将の紹介です。


上杉謙信も完全な天才型といえるでしょう。
ただし、これは合戦に関してそうだということです。
作戦は全て謙信が立てたといいます。それも、臨機応変に変更したそうです。
何か閃くものがあるのでしょう。それでほとんど負け知らずでしたので部将や兵は心服し、
この能力に関しては凡人の域をはるかに超えていたようです。
勇気も尋常のものではありませんでした。北条氏康を小田原城に囲んだとき
城の近くまで出向き、鉄砲の弾が飛んでくる中、茶を喫したそうです。
合戦に関して言えば、源義経も同様に天才でありました。
では、謙信や義経と前回の信長との違いはどこにあったのでしょうか。
それは、政治的・経済的に動けたかどうかというところにあります。
謙信の場合、越後国内で反乱が多くあって、政治的に統一できていたかというと
そうではなかったようです。
信長は、室町幕府を再興しましたが、幕府の役職には一切つきませんでした。
謙信がもし幕府を再興していたら喜んで管領にでもなっていたでしょう。
実際、関東管領でありましたし、その役職を忠実に遂行していたようです。
義経も同様に朝廷の役職に就いていました。
これは、彼らが幕府・朝廷に利用されている、あるいは利用されそうであったということ
を示しており、信長は逆に幕府・朝廷を利用する立場を望んだということであります。
でありますから、謙信では天下を取ることはできず、義経では頼朝に敵わなかったと
いう結果になっています。信長には政治性も充分に備わっていましたし、楽市楽座に
代表されるように経済観念も旺盛でありました。
合戦だけでない総合的な能力が信長には備わっていたということです。


次回も天才型の武将をご紹介いたします。お楽しみに。


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天才?その1
おはようございます。マツダイラです。


今回は戦国大名を天才型と努力型に分けたらどうなるかというお話です。

天才といえば何の努力もせずに才能が有り余っていると思われがちですが、ご本人たちに
言わせればかなりの努力も苦労もした、ということになりましょう。しかしここでは一般的
に天才ということでとらえられるということにいたしましょう。
同じく、努力型でも天分豊かでなければ武将として成り立たなかったことでありましょうが、
そう見えるということでの分類です。


天才型の典型としては、やはり織田信長が筆頭でしょうか。
とにかく理解力がすばらしかったといいます。
有名なエピソードで、宣教師が信長に献上した地球儀を示して、「我々の住む世界は
このように丸いのです。」と説明したところ、信長は「道理である。」と答えたといいます。
日本で初めて地球が丸いということを理解した人物が信長です。
何の知識もない環境で、どこをどう考えれば地球は丸いということを理解できたのでしょうか。
信長の頭の中では、「地球が丸い」ということが理に適っていたのでしょう。
紛れもなく天才だったといえるエピソードです。
この何十年か後、徳川幕府の御用学者である林大学頭が同じ説明を聞いても全く理解
できず、この世は平面であることを盛んに主張したそうです。
ヨーロッパではすでに定説となっていた理論ですが、信長から考えると時代が逆行した
と思えるようなお話です。
また、長篠ノ合戦のときに編み出した鉄砲の一斉射撃・三段撃ちという戦法も、
ヨーロッパでは信長の後、何十年もたってからやっと発見された戦法です。
天才的な発想力であり、また信長のすばらしいところはそれを実行に移すということに
あるといえるでしょう。
宣教師が本国への手紙で認めるほどの理解力と発想力と実行力、これらが備わっているから
こそ信長が天才だと言われるのでしょう。


今回はここまで。次回は天才型の武将の続編です。お楽しみに。

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おみくじ・・・?
ひょえぇえぇぇええぇええ。
あまりの寒さに言葉もおかしくなっている、みっちーです。

正月は実家に食べに行ったくらいで、
後は自宅で、ほとんど冬眠状態でしたw

おかげで、初詣にも行ってないです。。。はい。
・・・今週末にでも、いってきまーす☆


ちなみに、ことぶき先生っ!質問がありますっ!
おみくじって何回も引いていいものなのですかー?


おみくじも、引いた記憶が不確かではあるけど、
近年はパッとしなかったような・・・そんな気がする。

おっと、気付くのが遅かったけど、
今週末は十日えびすではないでしょうか!

Yahoo!ショッピング【いろどり空間】の
商売繁盛を願いに行ってきますかねぇ。

今年はたくさんのお客様が集まる
いいお店になるように磨きをかけますよっ!

商品の取り扱いも幅広くしていきます!

いろどり空間をよろしくお願いしますm(__)m


Yahoo!ショッピング【いろどり空間】
http://store.yahoo.co.jp/irodori-kukan/
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本年も宜しくお願い致します。。。
あけましておめでとうございます。ことぶきです。

皆さん、お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか。

昨年の8月からネットのスタッフに加わり早5ヶ月。ことぶき、無意識にも疾走ぎみになっていたせいか、年末にダウン。
おかげで、寝込んだり起きたりを繰り返したトホホなお正月休みでした。

でも、2日には、神社マニアのことぶき、ちゃんとお参りに行ってきましよ。普通、新年が明けてから参拝に行かれる方が多いと思いますが、ツウの方は、年始ではなく年末に参拝されるようです。

今回は多くの参拝者に紛れながら、地元のご縁のある神社2社へ行き、神様に昨年1年間を感謝し、今年のご挨拶をしてきました。

おみくじは「中吉」と「末吉」。番号は違いますが、同じことが書かれていました。私にとって今年は、勉強にうってつけの年だそうです。なので、今年は、健康管理に気をつけつつ、少しでも自分を成長させていけるような「学習年」にしていきたいと思います。

そして、お客様にご贔屓にしてもらえるネット通販を目指して邁進して行きます!

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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下克上
あけましておめでとうございます。マツダイラです。
本年もご愛読、よろしくお願いいたします。

今回はお正月らしくない、下克上の典型のお話です。


足利将軍家は応仁の乱以後、すっかり力を失いました。
取って代わったのが、室町幕府管領の細川氏です。管領は細川・斯波・畠山と3家あり
ましたが、応仁の乱以後は、斯波・畠山ともに零落し、細川氏の独占状態となりました。
細川家でも権力の座に長くいると当然のように後継問題で争いが起き、そんな中で
主家に代わって実権を握ったのが執事を務める三好氏でした。三好氏は一時的ではありますが
紛れもなく都の支配者でありました。その三好氏でも内紛が発生し、代わって実権を
握ったのが松永久秀で、一時は都の支配者として、宣教師の手紙にも書かれているくらい
権力を握っていました。
要するに、京都の支配者は

  足利将軍家 ⇒ 管領細川氏 ⇒ 執事三好氏 ⇒ 家老松永氏と代わっていったのでした。


松永久秀のあと、京都の支配者になった信長の家はどうだったのでしょうか。

尾張は先ほど述べた室町幕府管領の斯波氏の領地でした。そこに守護代の織田氏という家が
あって信長の家はその守護代の下で奉行を務める家柄でした。
足利将軍家からみれば、家臣は斯波氏でその家臣が守護代の織田氏で信長の家はそのまた家臣
という、陪々臣という身分となります。そういう身分の信長が室町幕府を滅亡させ、
出身のはっきりしない秀吉が戦国時代を終結させ、最終的に天下を統一した。
これが力のあるものが生き残る下克上であり戦国時代でありました。

栄枯盛衰、いつまでも栄えることはありません。


本当にお正月らしくない話でしたが今回はここまで。また次回をお楽しみに。

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祝2006☆
あけましておめでとうございます。
【いろどり空間】みっちーです。

今年は当店の『取扱商品の充実』を図り、
多くのお客様がご来店していただける店舗作りを目標に
努力をしていきたいと思っております。

是非、お客様の貴重なご意見をお聞かせください。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。


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楽天市場【e−満足】
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あけましておめでとうございます
【店長日記】

あけましておめでとうございます。

ずいぶん、ご無沙汰しておりました。
年末はバタバタしてまして、なかなか書けませんでした。
今年は、たくさんいいものをご案内したいと思います。

さて、みなさん、元日はどのようにお過ごしでしょうか。

私は、稚内に来ています。
日本の最北端、宗谷岬で初日の出を拝むためです。

一昨年も宗谷岬に来ましたが、初日の出は見れませんでした。
そのときに聞いた話では、前に見れたのは、7〜8年前とのこと。

なんとか見れないかな〜と思いながら、今年、リベンジにやってきました。
そして、とうとう、拝むことができました。

初日の出

思わず、今年は何かいいことがあるかも、と期待してしまいます。
みなさんにとりましても、いい年でありますように。

今年もよろしくお願いいたします。
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